市議補選終わる
ご承知の通り、17日投開票の藤沢市議会補欠選挙では、わが民主党公認の
佐藤きよたか候補
は惜敗。
短い準備期間の中、佐藤候補は大健闘を見せてくれた。敗れたとはいえ堂々たる候補者ぶりを発揮し、強力な相手候補を追い詰めた奮闘は賞賛に値すると思う。
佐藤候補、本当にお疲れ様でした。
私は今回の選挙で、選対本部長という重責を担った。
当然ながら、選挙は候補者本人のものだ。通っても落ちても、全責任を追うのは本人である。
では、選対本部長は何かといえば、候補本人にもあれこれ指示を出す、いわば選挙戦の
「最高司令官」
的な存在ともいえる。やはり、選挙の総責任者なのである。
で今回、敗戦の責任の多くは私にある、だろう。
「本部長、これどうしますか」
「本部長、明日のスケジュールは?」
「本部長、本部長…」
という具合に、皆が私のところに問い合わせてきたり意見を述べたりするので、正直私の能力ではパンク状態だった。
本来「選挙対策本部」は、本部長の下に実務を取り仕切る
「事務局長」
がいて、さらに
「遊説計画担当」や「団体対策担当」など、個別に責任者を置くのが通例だ。
しかし、今回は準備期間が短かったこともあり、各部門の取りまとめ役を置くこともままならず、私が本部長兼事務局長、さらに遊説計画担当…という感じになってしまった。
だが、ピンチのときに頼りになるのは、やはり仲間だ。
中塚代表以下、民主党支部所属の各級議員や県内他地区の議員・議員秘書が応援に駆けつけ街頭運動などで陣頭指揮をしてくれたし、知人も紹介してくれた。
各議員は、やはりそれぞれが選挙のプロだ。選挙戦全般で様々なアドバイス・アイデアを出してくれ、大いに助けられた。
労組などの支援団体は、ポスター張りをはじめとした選挙準備の支援や構成員に佐藤候補を働きかけたり電話作戦を買って出てくれた。
中塚事務所から応援に入ったスタッフたちは、事務全般でフル回転し裏方を支えた。
後援会長をはじめ家族・友人たちも、選対が無理を言っても嫌な顔ひとつせず、動き回ってくれた。
こうして選挙戦が進むにつれ、選挙事務所の陣容は充実してきて、最後は本部長はいなくても平気、というところまで仕上がった。
そんな中、佐藤候補は選対からの「日替わり」の指示にもめげず、早朝から深夜まで本当に良く頑張った。
選挙に
「たら・れば」
は禁物だが、もっと時間があればなあ、と何度思ったことか…。
結果的には
「出遅れ」
が致命傷となった格好だ。
本部長の私に十分な能力があれば別だが、選対をしっかりと組織化できない状態では緻密な選挙戦を展開することは無理だったと言わざるを得ない。
選挙計画が大雑把かつ場当たり的になってしまったことは否めないだろう。
また、広報戦術も不十分な上、政策面も十分煮詰めることが出来なかった。本部長として、反省の種は尽きない。
ともあれ、準備不足そのものを含めて我々の
「実力不足」
なのである。
当選した陣営が、総合的に我々を上回ったということだ。素直に敗北を認め、当選した桜井直人氏に心から敬意を表したい。
市民・支援者の皆様:
2月10日から一週間、大変お騒がせをいたしました。
候補者は短い準備期間の中、持てる力を十二分に発揮し奮闘しましたが、選対の力が至らず残念な結果に終わったことをお詫びいたします。この選挙結果を総括し、今後の活動に活かしていきます。
皆様からいただいたご支援に心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
佐藤きよたか候補
は惜敗。
短い準備期間の中、佐藤候補は大健闘を見せてくれた。敗れたとはいえ堂々たる候補者ぶりを発揮し、強力な相手候補を追い詰めた奮闘は賞賛に値すると思う。
佐藤候補、本当にお疲れ様でした。
私は今回の選挙で、選対本部長という重責を担った。
当然ながら、選挙は候補者本人のものだ。通っても落ちても、全責任を追うのは本人である。
では、選対本部長は何かといえば、候補本人にもあれこれ指示を出す、いわば選挙戦の
「最高司令官」
的な存在ともいえる。やはり、選挙の総責任者なのである。
で今回、敗戦の責任の多くは私にある、だろう。
「本部長、これどうしますか」
「本部長、明日のスケジュールは?」
「本部長、本部長…」
という具合に、皆が私のところに問い合わせてきたり意見を述べたりするので、正直私の能力ではパンク状態だった。
本来「選挙対策本部」は、本部長の下に実務を取り仕切る
「事務局長」
がいて、さらに
「遊説計画担当」や「団体対策担当」など、個別に責任者を置くのが通例だ。
しかし、今回は準備期間が短かったこともあり、各部門の取りまとめ役を置くこともままならず、私が本部長兼事務局長、さらに遊説計画担当…という感じになってしまった。
だが、ピンチのときに頼りになるのは、やはり仲間だ。
中塚代表以下、民主党支部所属の各級議員や県内他地区の議員・議員秘書が応援に駆けつけ街頭運動などで陣頭指揮をしてくれたし、知人も紹介してくれた。
各議員は、やはりそれぞれが選挙のプロだ。選挙戦全般で様々なアドバイス・アイデアを出してくれ、大いに助けられた。
労組などの支援団体は、ポスター張りをはじめとした選挙準備の支援や構成員に佐藤候補を働きかけたり電話作戦を買って出てくれた。
中塚事務所から応援に入ったスタッフたちは、事務全般でフル回転し裏方を支えた。
後援会長をはじめ家族・友人たちも、選対が無理を言っても嫌な顔ひとつせず、動き回ってくれた。
こうして選挙戦が進むにつれ、選挙事務所の陣容は充実してきて、最後は本部長はいなくても平気、というところまで仕上がった。
そんな中、佐藤候補は選対からの「日替わり」の指示にもめげず、早朝から深夜まで本当に良く頑張った。
選挙に
「たら・れば」
は禁物だが、もっと時間があればなあ、と何度思ったことか…。
結果的には
「出遅れ」
が致命傷となった格好だ。
本部長の私に十分な能力があれば別だが、選対をしっかりと組織化できない状態では緻密な選挙戦を展開することは無理だったと言わざるを得ない。
選挙計画が大雑把かつ場当たり的になってしまったことは否めないだろう。
また、広報戦術も不十分な上、政策面も十分煮詰めることが出来なかった。本部長として、反省の種は尽きない。
ともあれ、準備不足そのものを含めて我々の
「実力不足」
なのである。
当選した陣営が、総合的に我々を上回ったということだ。素直に敗北を認め、当選した桜井直人氏に心から敬意を表したい。
市民・支援者の皆様:
2月10日から一週間、大変お騒がせをいたしました。
候補者は短い準備期間の中、持てる力を十二分に発揮し奮闘しましたが、選対の力が至らず残念な結果に終わったことをお詫びいたします。この選挙結果を総括し、今後の活動に活かしていきます。
皆様からいただいたご支援に心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。