:::藤沢市議会議員 柳田ひでのり:::藤沢市議会議員柳田秀憲のブログです。

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鵠沼奥田線 〜土地取得に厳しい視線〜
野村不動産が藤沢市鵠沼橘で分譲マンション建設を計画し、その敷地の一部が市都市計画道路の「鵠沼奥田線」用地と重なっていることから、マンション用地の全体約400坪のうち約70坪を3億5千万円で市が取得した(09年6月)。

この件について、市民5名が藤沢市に対して
「不当な土地取得」
とし、用地取得の差し止めを求める住民監査請求をした、のが今年の4月。

訴えの内容は、

1.公示価格では屬△燭蝪苅緩円なのに、今回の取得金額は150万円と3倍以上もの高値

2.事業計画の見通しがない

なので、市の土地取得は不当だ、というものだ。

まず、1.について、説明したい。
鵠沼橘1丁目付近は商業地であり、建坪率・容積率は住宅地よりも多い。
市内住宅地の多くが建坪率4〜50%、容積率80%に対して、当該地の容積率は400%になるが、それでも坪単価は150万円程度というのが相場だろう。
しかし、今回の土地取得は坪単価500万円。普通では考えられない高値だ。

これに対し、市側は
「野村不動産が市に土地を譲渡したことにより事業面積が減少、つまりマンション販売戸数が減った」
「それに伴う測量のやり直しや設計変更も生じた。これらの費用も土地価格に上乗せしたもので、法外な金額ではない」

と反論している。

次に、2.を見てみたい。
鵠沼奥田線は都市計画決定道路で、確かに市南部の最重要路線だろう。
しかし、鵠沼東〜本鵠沼2丁目までの約1.8劼侶弉菽罅供用は鵠沼東〜橘1丁目までの700mほどしかされておらず、その先の本鵠沼2丁目までは住宅が密集しており、さらに小田急線を横切ることになるなどの困難さから、事業は数十年も止まったままだ。

私は、議員になって8年目になるが
「鵠沼奥田線は渋滞緩和・防災面などからも最重要路線だ」という道路部局からの説明は何度も聞いたが、「橘1丁目から先への延伸を事業決定した」なんていう話は一度も聞いたことがない。

09年6月、取得直後の神奈川新聞によると
「2011年を目途に計画を具体化」
ということだが、未だに道筋は示されていない。

市は
「マンションが建てられてしまうと事業の進捗が著しく困難になる」
と主張し理解を求めているが、ならばマンション業者が手に入れる前に土地を押さえればよかった。

というのも、都市計画道路用地にかかっている土地の所有者は、市が知らぬ間にこっそり民間に売ってしまう、ということは制度上できない。
必ず
「私の土地を売りたいが、計画道路用地になっているので自治体に取得の意思があれば(民間に優先して)協議に応じます」
という申請をしなければならないのだ。
だから、市も当該地がデベロッパーに売却されてマンション等の事業計画用地になる可能性があることは知っていたはずだ。
前の所有者が土地を野村不動産に売却する前に、市が買うことも出来たのだ。
それが出来なかったのは、道路延伸の事業計画の見通しが無かったからではないか?と疑念が生ずる。
それに、「マンションになる前に買っておけば余計は費用負担は無かった」だろう。
もっとも、それは後知恵だ、と言えるかもしれないが。

まあ、この土地取得は善行問題とは違い、都市計画決定された道路であり、市の重要路線だということも同感なので、取得したこと自体を責めるものではない。

私としては
1.野村不動産に譲渡される前に、市が取得する機会があったにも関わらずそれを逃した事の合理的な説明
2.野村不動産の損失の詳細

について、機会を捉えて市に説明を求めたいと思うが、まずは監査結果を見てみたい。

いずれにせよ、市の土地取得に対しては、以前とは比較にならないほど市民から厳しい視線が注がれているという自覚が必要だ。
| 19:38 | 都市計画 | comments(4) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
都市マスタープラン
藤沢市は今、総合計画の見直しとともに、市の都市計画の基本方針となる
「都市マスタープラン」
の見直し作業を進めている。

藤沢市全体の整備計画の中で、市内に5つの地区を「都市拠点」と位置づけ、重点的に基盤整備等を行っていくとしている。

1.藤沢駅
2.湘南台駅
3.辻堂駅
4.健康と文化の森
5.片瀬・江の島

このうち、2.の湘南台地区は相鉄線・横浜市営地下鉄の乗り入れとそれに伴う駅前整備の完了、3.の辻堂駅地区については、北口の「湘南C−X」開発が進められている。
また、5.の片瀬江の島地区についても、水族館をはじめ江の島頂上部などの再整備は完了しており、おおむね計画通りに進んでいるだろう。

しかし、1.藤沢駅周辺地区については、駅南北の分断や施設の老朽化・陳腐化、さいか屋の経営危機問題が浮上するなど、中心市街地としての魅力後退が顕著だ。
これらは老朽化した市庁舎建て替えなどとセットで議論する必要があると考えるが、駅前地区は地権者が数多く存在し権利調整が容易ではないだろうし、市庁舎建て替えも巨額の費用を要するプロジェクトなる。
いずれにせよ藤沢駅再整備・再開発はかなりの難問だろう。

また、4.の健康と文化 については、慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスと大学病院、さらには新産業の誘致などをうたっているが、大学病院の誘致は不透明な状況だし、新産業誘致も今の経済情勢をみると果たして現実的課題なのか、疑問がある。

そうした中、今日の新聞各紙に
相鉄線が湘南台以西へ延伸
という記事が出ていた。

藤沢市と神奈川県、慶応義塾と相模鉄道の4者で検討会議を設置し、湘南台駅から慶応キャンパスまで新たな鉄道敷設を検討する、というものだった。

市の総合計画・都市計画からすると、この話は既定路線であり、これまでも検討が重ねられていたので驚きはないのだが、少子高齢化・経済低迷の現下の情勢で打ち上げる話なのかどうかは、議論の余地がある。

この計画は、「上下分離方式」で検討するようだが、これはようするに鉄道事業者は採算が合わないから市や県に施設設置をしてほしい、運営は鉄道会社がやるから、というものだ。

報道によれば、事業費は1000億円との試算もあるようだが、実現可能なのだろうか?また、費用対効果はどうなのか?

これまで市が打ち出してきたまちづくりの方針・将来構想自体は間違ってはいないだろうが、構想をすべて実現する必要があるのか?また、実現できるのか?
できるとしても、いったい何年・何十年かかるのか?その間に、社会情勢が変化して、できた時には無用の長物になっていはいないか?

相鉄延伸や村岡新駅など、都市計画上の課題を解決するにはけた外れの費用がかかる。

私は、基本的に都市整備は進める必要がある、と思っている。
少子高齢化だからといって、福祉的なものばかりに金を使っていると、その原資を稼ぐ産業が成り立たなくなってしまう恐れがあるし、そもそも都市としての活力が失われる。
「角を矯めて牛を殺す」
ということだろうか。

とはいえ、市の財政に余裕はないのだ。思い切った事業の見直し・廃止、凍結が必要なのではないか?
これから始まる代表質問や予算委員会の中で議論しようと思っている。
| 18:13 | 都市計画 | comments(1) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
道路問題
今日の午前中、県道「藤沢厚木線」の完成式典に出席した。

折りしも、今国会は「ガソリン国会」ともいわれ、ガソリン税の暫定税率維持を唱える与党と、廃止を訴える野党とが激しく対立する様相となっているのはご承知の通りで、その税率引き下げとならんで焦点となるのが
道路特定財源
だ。
特定財源のせいで不要不急の道路が各地で濫造されている、と批判が噴出してから久しいが、その一方で知事会などは暫定税率維持・特定財源堅持を訴えている。
まだまだ、地方に道路は必要ということだ。

で、藤沢市である。
藤沢市は道路網の不備が弱点とされてきたが、産業空洞化・市内産業の流出が止まらない中、より一層道路網構築に力を入れだしているといってよいだろう。産業にとってはもちろん、昨今では防災面からも道路網の整備が叫ばれている。
これから民主党がどこまで与党に攻勢をかけられるかだが、道路を求める声は相変わらず根強い今、暫定税率廃止・特定財源廃止した場合に「必要な」道路建設の財源をどうやって担保するのか、逆に問われている。
が、これはおかしな話である。
政府予算案を前提にするからそうした議論になるのであって、そもそも抜本的に予算のムダを見直せば、必要な道路をつくることは出来るはずだ。

藤沢市はもちろん過疎地ではないが、首都圏は首都圏なりに道路が必要だということは確かだ。
私自身は、これ以上道路はいらないっていわれればそうかな、とも感じるし、まだまだ必要だといわれればやっぱりそうかな、と思う。
ようは税財源のムダ遣いがいけないということだ。ムダの温床となっている特定財源という制度は見直す必要があろうし、税率の引き下げに関しては、環境問題とガソリン税の考え方を打ち出す必要はあると感じている。

脱線してしまった。
さて、藤沢厚木線である。
この道路は、辻堂元町から葛原までの市内の南北を貫き、綾瀬・海老名を通って厚木にいたる主要幹線道路である。
JR東海道線周辺の区間は殆ど進んでいないものの、旧国道1号から北は順調に整備され、東西軸のR1との交点から横浜厚木線との交点までの区間が完成した事の意味は大きい。

これまでは藤沢の縦(南北)軸は国道467号(町田線)のみ、と言ってよく、同線は慢性的な渋滞に悩まされているのだが、この藤沢厚木線が開通することにより緩和されることは間違いない。
そして、この道路が東名高速(仮)綾瀬ICが完成し接続されると、藤沢市内から各大都市圏へのアクセスが飛躍的に向上し産業活性化等に貢献する、と大いに期待されているのだ。

道路を計画する際、よく「ハシゴ」状に、といわれる(「あみだくじ」にも似ている)。
藤沢でいえば、ハシゴの枠にあたる縦軸がR467と今回の藤沢厚木線だ。
ハシゴの段にあたる横軸は、
・新たな大動脈の圏央道(横浜湘南道路、整備中)
R1
R134
(以上、国道)。
この他、県道としては
・湘南台寒川線
・横浜伊勢原線(用田バイパス)
といった都市間道路が横軸として通っており、道路網は充実してきた。また、市道としては、横軸が
・土棚石川線
・藤沢石川線、
縦軸は
・善行長後線
も進行している。
そして横浜湘南道路の接続先の、相模川左岸を縦にはしる相模縦貫道が開通すると、藤沢市から県央部をはじめ東名・中央・関越道など、「全国的」なアクセスが飛躍的に向上する。

その一方、過密気味の市内南部では、R134や海岸の駐車場は立派になったものの、市中心部の重要な横軸の市道鵠沼奥田線が未整備のため、県道藤沢鎌倉線が藤沢駅のところでネックが生じている。
市道としては鵠沼奥田線の他に
・藤沢駅鵠沼海岸線
・鵠沼新屋敷線
・片瀬辻堂線
などの都市計画道路もあるのだが、この路線上はすでに住宅が密集しており実現するのはかなり厳しいどころか不可能に近いのではと思ってしまう。
梯子の「段」にあたる横軸が、市内南部では決定的に不足しているのである。

また「R1とR134を結ぶ」という、R467をバイパスする重要な縦軸となる県道横浜藤沢線は、現在藤沢鎌倉線と交わる川名でストップしており海岸方面への延伸が望まれているものの、路線上には貴重な川名緑地や私の地元の片瀬山・片瀬地区の住宅街を貫くことになる、ということで根強い反対があるのだ。
私自身は、各計画道路は基本的には必要だと考えているが、さりとて、貴重な緑地・生態系を破壊したり閑静な住宅街を主要バイパスが貫くことへの疑問もある。またこれら「環境との共存」のみならず、初期投資と維持管理を含めた「費用対効果」は如何に、といった財源問題もあろう。
いずれにせよ、これら諸問題の解決は容易ではないというのが実感だ。

市内北部からは、藤沢駅周辺や海岸線の発展が眩しく映るかもしれない。
だが、都市計画を進めるにも南部は過密状態で、用地取得の費用だけ考えても頭が痛い。といって区画整理を行うには各戸の区画が小さすぎる。
他方、御所見地区や遠藤地区には、
まちづくり推進協議会
という地元住民の組織があり、地域のみなさんが自らの土地を提供しながら区画整理事業を進め、必死になって自らのまちの将来を模索しているのだ。協議会会長の挨拶には、計画道路に地域の将来を賭ける熱い思いが込められていた。
こうした姿をみるにつけ、都市計画の上では閉塞状況に陥っている市内南部に住む一人としては、まだまだ活用可能な土地が残されている「市内北部の可能性」が羨ましいと感じてしまう。

市内面積約69.5k屐東西距離約6.5辧南北約12辧
藤沢市は、広い。海から街や工業・田園地帯などなど、各地区の多様性・固有課題を内包しているのだと再認識させられた式典だった。
| 18:27 | 都市計画 | comments(4) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
市議としてやりたいこと
少し前に、昨年の6月定例会での一般質問を抜粋してエントリーにした。
今回は、その理由を述べたいと思う。

市議選への出馬を表明すると、
「市議になって何をやるの?」
と聞かれることが多い。
私も有権者の立場だったら、素朴に思う。
さらには
「何をやってくれるの?」
「何をやりたいの?
っていうのもある。

初出馬のとき、そのように問われると
「市民の皆さんの思いを市政に届けます」
みたいな事を言っていたと思う。

それは、今でも違いはないのだが、ある意味、
「苦し紛れ」
であったろう。

ようするに、
「市議になりたい」のであって、「市議として何をなすか」はやる前には分からない部分が正直あるのだ。
だから、
「何をしたいのか?」
的な質問は、本当に答えにくい。とにかく、
「当選したい」
のだ。

だが、一期四年、市議をやった今ならば
「私が何をやりたいのか」
は問題ではなく、
「自分の仕事は市民がやりたいことの後押しだ」
と、はっきり言い切れる。

だから、初出馬のときに、ある意味苦し紛れ?に言った
「市民の皆さんの思いを届ける」
というのは、その通りである。
ただ、言葉のニュアンスがちと違う。
私の存在意義があるとすれば、市民がやりたいことを、形にする、
つまりは
「予算化」「事業化」
することなのだろう。

対して、
「なぎさシティ」
は、誰か市民に言われたから、私も主張しているわけではない。
もちろん、江の島や湘南海岸の現状を嘆く声や、もっと夢を見たいと言う声は、本当によく聞いているつもりだ。
それに対する、私からの回答ではある。

が、「なぎさシティ」をもう一度、という声は聞いたことがないのだ。
今の片瀬漁港の姿を見て、
私自身が「直感的に」感じたこと
なのだ。

何度も述べるが、市議の仕事は、市民の想いを
「予算化・事業化」
することだと私は思っている。だから
「市議になってやりたいことって何?」
と問われると、
「私自身がやりたいことなんて、どうでもいいんですよ」
と言いたくなるときがあるのだ。

そこを、敢えていえば
「なぎさシティ」
のような、夢のある、そして今の湘南に足りないものをつくること、それが少々荒唐無稽かもしれないが、私が
「やってみたいこと」
なのである。
| 21:02 | 都市計画 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
なぎさシティ計画その5
柳田再質問:

それでは、要望と再質問をさせていただきます。
まず、観光行政についてですけれども、やはり観光に文化的な要素というのも加えていくということが今後は大切になるのではないかなと思います。市長におかれましては、先ほども市長のすごく懐かしいお話もお聞かせ願いまして、うれしい限りでございます。ぜひとも前向きに御検討いただければと要望させていただきます。

それと、都市計画については再質問をさせていただきます。
先ほども述べましたけれども、音楽ホールであるとか、文化施設は私一人が言っているわけではなくて、市の都市計画になっているわけですから、ぜひともこのあたりは考えていただきたいなと思います。

最初の登壇でも述べたんですけれども、観光、受け入れ側の立場でいいますと、自分たちの地域の輝かしい風光、文物、制度を示すこと、そういう定義で考えますれば、私は例えば音楽ホールとかだけではなくて、美術館とか博物館とかも片瀬江の島地区に必要だと思うぐらいですから、例えば市民にとってもこういう文化的な施設があるというのは、町に対する理解も深まり、またそれが誇りにもつながってくるというふうに考えます。そういった場所があって、都市計画にもうたわれているような市民と観光客の方との交流、ともに文化的体験ができる施設というのがやっぱり観光地には必要なのではないかなと思いますので、もう一度御見解をお願いします。
以上です。

神田計画建築部長:

それでは、再質問にお答えいたします。
先ほどの答弁でも触れさせていただきましたが、かつてのなぎさシティセンター地区構想は、湘南海岸公園を時代のニーズに合わせて魅力ある公園として再整備を行おうとするものでございましたが、自然環境の保全と観光産業を主体とする地域の活性化の両立が困難とする世論の高まりや社会経済情勢を見きわめた上で中止に至った経緯と、現時点においてその状況に変化はないものと受けとめておりますことは御案内のとおりでございます。

なお、将来的に観光機能の向上を図る上での文化施設等に対する社会的要請が高まり、市民のコンセンサスが得られる中で、自然環境の保全を前提に、その時点で施設管理者である神奈川県と協議の場を設けてまいりたいと考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。
| 15:31 | 都市計画 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
なぎさシティ計画その4
神田計画建築部長の答弁:

続きまして、要旨2「湘南海岸公園一帯の都市計画について」お答えいたします。
御質問1点目の湘南港の今後のあり方につきましては、湘南港のあるべき姿検討懇話会では、湘南港の位置が片瀬江ノ島駅から江の島大橋を隔てた島内ということもあり、陸上からのアクセスに課題があるという点が議論になりました。
その解決策として、シャトルバス等の導入や公共交通優先レーンの設置、湘南港と陸側とを結ぶ定期航路開設などを提言として取りまとめてございます。この実現により、江の島対岸の湘南海岸公園一帯地域との連携強化に資するものでございます。

また、提言には、市民に開かれた港づくり、魅力ある湘南港の雰囲気づくりといった点も盛り込んでおり、施設開放等により、要旨1でお答えいたしました文化的イベント等の開催に道を開き、もって片瀬江の島のさらなる観光振興に寄与できるものと考えているところでございます。

続きまして、御質問の2点目、湘南海岸公園一帯地域、特に片瀬江の島地区の都市計画についての考え方と、かつてのなぎさシティに基づいた文化施設についての見解につきましてお答え申し上げます。
湘南の地域イメージは、かつての別荘地から発達した良好な住宅地と、海水浴場から発達した海浜部における首都圏の海洋レジャー拠点地区としての両面性をあわせ持っていることから、本市都市計画におきましても、その両立を土地利用の方針と定め、取り組んできたところでございます。その取り組みの一つが湘南なぎさプランでありました。湘南なぎさプランで計画されておりました国道134号の4車線化ほか周辺への駐車場整備など都市的インフラは、おおむねの完成を見ているところでございます。

また、海浜部に隣接した陸側におきましては、海洋レジャーに対応する商業地域としての風致地区指定を維持し、建物高さを15メートルに抑えることにより、海浜部から見た市街地景観の維持保全を図ってきております。
なぎさシティ計画は、ウオーターフロント開発から自然回帰、環境共生といった時代潮流の中で、県、市、提案事業者協議のもと、中止に至ったものであります。その時点での計画のうち、市民生活と直結する漁港を初め集客施設の中核としての水族館の改築等は実現してございます。

しかしながら、文化施設は、建設用地確保の面で海岸の埋め立てを伴うことにより、経済、自然環境への影響により中止した経緯を顧みますに、現在においても当時の状況に変化はないものと判断しております。

したがいまして、かつてのなぎさシティ計画地を含む湘南海岸公園一帯地域の都市計画の今後の方向性は、湘南海岸の美しい景観維持と自然環境保全、養浜等を基本に、昨年施行されました景観法の基本理念に基づき、江の島島内の景観地区指定による修景整備に加え、対岸の国道134号沿道の景観整備等に取り組んでまいる考えでありますので、よろしくお願い申し上げます。
| 15:30 | 都市計画 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
なぎさシティ計画その3
山本市長答弁:

柳田議員の一般質問にお答えをいたします。
今、柳田議員の質問を聞いておりまして、私も何かノスタルジアを感じるような思いで答弁させていただくわけでありますけれども、私の子どものころ、片瀬に江ノ島水族館ができました。
当時の宣伝では、東洋一の水族館、東洋で初めての水族館ということで大宣伝がされました。最近になって聞いた話ですけれども、今、水族館が1年間で約200万人ぐらいですか、来られたわけでありますけれども、当時もそのくらいの数が来られたということを聞いております。

あれから何十年たったんでしょうか、今、リニューアルしましたけれども、私も、堀館長さんという方がいらっしゃいますけれども、あの方に大変申しわけないことを言ってしまったんですけれども、江ノ島水族館というのは東洋一の水族館であったんですけれども、今は東洋一の見すぼらしい水族館になってしまった、こういうようなことを言ってちょっと陰口をたたいて、市長さんもひどいことを言うものですねと、こういうことになったわけでありますけれども、そのころからリニューアルしようという気持ちになったようであります。

また、あそこの前に、今のどこら辺になりますか、県のサーフビレッジですか、あそこの前あたりに当時のレストハウスというのができました。それから、今、構想されているところには小田急のビーチハウスというのができまして、当時、片瀬山がゴルフ場でありました。
あそこから見た景観というのはすばらしいものでありまして、まさに日本とはとても思えないというような状況でありました。また、そこのクラブハウスは、子どものころだったんですけれども、夜になるとかなり明かりがきれいに見えまして、それこそ日本の香港だとかなんとか言った覚えがあるんですけれども、そのくらい何か美しい景観であった、このように思います。

あれからいろいろ乱開発だとか、そういうのが進んできてしまいまして、当時の面影はなくなってしまっているわけでありますけれども、じゃ、当時と今とどちらがいいのかということを考えたときには、どういう視点でとらえるかによってかなり違ってきてしまうんだと思います。

そういった中でお答えをするわけであります。大変格調高い質問であった、このように思っておりますけれども、答弁の方はちょっとお粗末な答弁になってしまって申しわけないと思うんですが、私は件名1の「湘南海岸について」お答えをさせていただきますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。

要旨1の「観光行政について」
1点目の本市の観光の現状についてでございますが、湘南海岸公園周辺におきましては、県の実施する湘南海岸公園整備工事が完了を迎える状況にあります。また、国道134号線の片側2車線化が完了し、さらには周辺観光施設の整備充実が図られてくるなど、観光客を受け入れるに当たっての施設整備が順調に進んでいる状況であると考えております。
こうした状況におきまして、本市の観光施策としましては、これら充実してきた観光資源と既存の観光資源を活用したイベントを年間を通して実施し、地域のにぎわいを創出し、また、県外へのキャンペーン活動の実施、フィルムコミッション事業の展開など、直接的、間接的な誘客宣伝活動を実施することで本市を紹介し、新たな観光客の掘り起こしを行っているところであります。
この結果、過去5年間の観光客数につきましては、平成13年で919万人、平成14年で854万人、そして平成15年以降は1千万人を超えまして、平成15年が1030万人、平成16年が1256万人、平成17年が1220万人と推移しているところであります。

このような中、観光に関する課題解決に向けた取り組みでございますが、御指摘の騒音問題、ごみ問題等につきましては、観光客のモラルの問題でもあると考えておりますが、これらの課題を解決することが良好な観光地としての要件の一つとなるものであると考えております。
したがいまして、ビーチクリーナーの導入だとか、あるいはクリーンキャンペーンの実施、夜間パトロールの活動の実施等、市民の御協力をいただきながら取り組みを進めているところでございますので、よろしくお願いを申し上げたと思います。

そして、2点目の音楽等文化的イベントによる観光客の集客についてでございますが、イベント事業を実施することは、地域の良好なイメージにつながると思います。また、一時期には大勢の観光客を導くことになるわけでありますので、それに伴う経済的効果も期待できるものと考えております。

一方におきまして、御指摘の騒音問題、ごみ問題など、事業実施に伴う新たな課題が発生することも想定されるものであります。本市の観光事業実施に当たりましては、従来より地元の御理解を得ながら、地域の観光事業者等と協働して事業を進めているもので、実行委員会等を組織し、協議を重ねることで地域の特色を生かした効果的な事業が実施できるものと考えており、御指摘のイベントにつきましては、これら地域の機運の盛り上がり等を勘案し、対応してまいりたいと考えておりますので、よろしく御理解をいただきますよう、お願いを申し上げます。

私からは以上でございます。
| 00:28 | 都市計画 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
なぎさシティ計画その2
〜柳田質問の続き〜

続きまして、
要旨2「湘南海岸公園一帯の都市計画について」

総合計画2020の中で
「湘南の顔になる産業の支援」
とうたわれているとおり、江の島、湘南海岸の観光活性化は本市にとって大変重要な施策であります。
また、先ほども述べましたが、観光産業は今後ますます発展が期待されており、今や観光立国は国策となっております。しかしながら、先ほどの繰り返しになりますけれども、観光公害とも言われる現象が観光地で起きているのもまた事実であります。そして、それは江の島、湘南海岸も例外ではありません。

去る3月26日、都市計画課の主催で景観タウンミーティングが片瀬市民センターで開催されまして、私も住民の一人として参加させていただきました。これは市内の各市民センターで行われましたので、皆様の中にも御参加なさった方がいらっしゃるかもしれませんが、どのような取り組みなのか、かいつまんで説明しますと、美しい町並みなど良好な景観に関する関心が高まっている中、市としても景観行政を推進していく。ついては、法制度や景観行政について、行政と市民との情報交換をしたいというような趣旨かと思います。

私が参加したこの日は、大体20名ほどの片瀬地区在住の方々が集まって、この集まりの中で前段は市当局からの説明で、後段は車座になって座談会という感じで、皆さんで話し合ったんですけれども、そこで私は多くの方々のまちづくりに関する御意見を聞くことができて、私にとっても大変有意義な催しでありました。都市計画課の皆様には感謝申し上げます。

さて、ここでの議論の中で、参加者の方がおっしゃっていたことが私にとって非常に印象的だったので御紹介したいと思います。この方は、

「片瀬は観光地なのか、別荘地、住宅地なのか。私が越してきた40年前は別荘地のようで静かだった。
しかし、昨今は交通量が激増し、けばけばしい建物がふえて住みづらくなってしまった。このまま放置されるのなら、ここから出ていきたい」


といったような趣旨だったかと思うんですけれども、私も小さいときから藤沢におりますので、この方のようなこういう感覚はよくわかります。

このような、昔はよかった、という住民の切実な声をお聞きしたところで、私としても処方せんは提示できません。全くもって歯がゆい限りでありますけれども、同時に、いつもなんですけれども、この種の議論の際、私は感じるんですけれども、それならばいつの時代がよかったんだろうか。
明治、大正のころなのか、戦前、それとも戦後の高度成長期の前あたりなのか、はたまた江戸時代のころなのでしょうかと問いかけたくもなりますね。

私は、その方の発言を受けて、生意気なんですけれども、

「まちづくりは長い時間がかかります。40年でだめになったのなら、40年かけてよくするしかないのではないでしょうか、町を50年、100年スパンで見ることが必要だと思います」

というようなことを申し上げました。これは残念ながら反応は芳しくありませんでした。皆さんは「今何とかしたい」ということをおっしゃっているわけですから、当然だと思いますけれども、私としては偽らざる心境ということでありました。

明治、大正のころの湘南は、恐らくすばらしかったんだと思いますので、だったらば何十年、100年かかっても昔の姿に戻すというまちづくりも一つの選択だと言えると思います。
とはいうものの、私はそのような立場はとりません。

まちづくり、地域の活性化を考えた場合、自然環境や住環境と産業とでは、どうしても相反する場面が出てきてしまうでしょう。要は、いかにしてそういったことを最小限にとどめるか、それでもやはり何かが犠牲になるのは避けられないと考えます。
片瀬地区、鵠沼地区のすべてを住居系にする、あるいはその逆にすべてを商業系の用途にする。これはどちらも現実的ではありません。どこかで折り合いをつけることがどうしても必要になってきます。

ここで鍵となるのは文化ではないかと私は考える次第です。観光を発展させることは、必ずしも住環境、生活環境を脅かすのではなく、文化という要素を加えることによって、そこに住む市民の皆様の生活にも潤いが生まれるのではないかと思います。片瀬江ノ島駅周辺は商業地域となっており、江の島、湘南観光の玄関口ということもあって、多くの集客が期待できます。実際にファストフード店やコンビニエンスストアが立地して、特に夏は多くの人でにぎわう場所でありますが、現在の姿は首都圏を代表するリゾート地の駅前と言うには何とも物足りない感じがしてしまいます。

本市の都市計画では、片瀬江ノ島駅周辺の市街地は、レクリエーション、リゾート、文化、交流活動の拠点地区の玄関口にふさわしい個性・魅力ある都市空間の形成を図るとありますが、そのとおりにはなかなかいかないのが現実であります。ここで私は、やっぱり以前ありました湘南なぎさシティ計画がどうしても頭の中をよぎることになります。 

1985年の湘南なぎさプランの2年後に、江の島、片瀬、鵠沼地区は新たな展開を迎えます。
学識経験者で構成される
「江の島・片瀬・鵠沼海岸地区整備検討委員会」
から、当時の長洲知事及び葉山市長─私の義理の父でありますけれども─に対して提言が出されました。
先ほどの質問の際にも述べましたように、当時の状況と課題をこの検討委員会の方が示して、その後の施策展開として

「個性ある自然、歴史、景観を持つ江の島と、湘南海岸のにぎわいを代表する片瀬、鵠沼を一体とした世界に誇れる文化・リゾート地区を創出する」

という計画が示されました。江の島、片瀬海岸、鵠沼海岸の中を8つの地区にゾーニングして機能分担して、現在の漁港がある片瀬西浜のあたり、そこをセンターゾーンとして、交通・交流・文化活動の拠点と位置づけました。これが後に物議を醸し、結局は頓挫することになる
「湘南なぎさシティセンター地区」
の原形であります。

その後、2カ年余りの準備期間を経て、1992年、湘南なぎさシティセンター地区の事業コンペが発表されました。結局、この案は2件しか応募がなかったんですけれども、審査を重ねて翌93年に事業者、事業案が決定されました。
しかし、このとき既にバブル経済は崩壊しており、不況も深刻化、そうした中で近隣住民の方々を初め観光事業者の方、そして市議会でも反対する声がわき上がって、長洲知事の後を受けた岡崎知事は、なぎさシティ計画の見直しを決断したということは皆様御承知のとおりでございます。

当時の社会情勢にかんがみると、あのような大規模な海岸の埋め立てを伴った開発は、もはやバブル期のあだ花として生き残ることはできなかったということだと思います。
当時の新聞記事や議会の議事録なんかを見ていますと、これはとてもじゃないけれども無理だったなというふうに私は思うんですけれども、もちろんこれは賛成している人がいなかったわけでもありませんで、あれは惜しかったなという声も確かにあります。

私の手元に
「湘南なぎさシティ・センター地区提案競技実施報告書」
というのがあります。これはなかなかすばらしい成果物でして、やっぱり設計するということはいろいろ大変なんだなと、それを選ぶのもかなりすごい作業なんだなというのを改めて思うんですけれども、これを見るにつけ、これはこれですばらしい計画だったんだなというのは私も思います。

この事業コンペを行うに際して、1992年に県と市との共同でまとめられた「湘南なぎさシティ実現化計画」という資料があり、片瀬、鵠沼の海岸地域の明治期以来の変遷が記されておりました。この資料によれば、片瀬、鵠沼海岸の変遷を、

1番目に鵠沼文人村の形成、
これが明治、大正期、

2番目に東洋のマイアミビーチ、先端若者文化の発信地、
これは昭和期、オリンピック以前というふうになっています。

3番目に湘南のイメージ低下、
これも昭和なんですけれども、これはオリンピック以降というふうに分類されております。

明治、大正期には、湘南の海のレジャーは海水浴にほぼ限定されておりまして、鉄道が開通してからは保養地、別荘地として発展、このころに多くの文人が逗留し、数多くの文芸作品が生まれていったことは有名であります。これは、いわば
「文化の時期」
とでも申しましょうか。
そして、昭和の初期から戦後にかけては、道路や江の島の橋、水族館などの都市施設が整備され、また加山雄三さんに代表されるような先端若者文化の時期となります。このころからヨットなどのマリンスポーツが登場し、湘南の輝きは増していきました。

しかし、東京オリンピック以降、昭和40年代ころから湘南のイメージは低下していきます。
海水の汚濁、大量のごみ、施設の老朽化、陳腐化、道路渋滞、暴走族の流入、こうした負のイメージになってしまったわけですね。


こういう湘南のイメージを一挙に打開し、文化の薫りが高い古きよき湘南のイメージを踏襲した世界に誇れる文化・リゾート地区の創出を目指して打ち出されたのが、この
「湘南なぎさシティ」
でありました。

少し話は変わるんですけれども、今はもうなくなっちゃったんですけれども、湘南ホテルというのがありまして、湘南ホテルが開業したころ、ちょうど
「サーフ’90」
が開催されていたころで、私の印象だと湘南が最も活気づいていたころかなという感じがいたします。バブルのころですね。そして、バブル経済が崩壊、その後の失われた10年と言われる平成大不況に突入、このころは円高是正のための内需拡大政策というんでしょうか、全国で次々と観光施設が建てられていったんですけれども、こういうものも相次いで破綻していく。

こうして国と地方ともに巨額の財政赤字を抱えるという、我が国のリゾート開発は惨たんたる結末となってしまいました。こういう背景もあってだと思うんですけれども、なぎさシティのような開発は環境破壊だし、財政破綻の元凶だと各地で厳しく批判され、存続はできなかったということだと思います。

そして、時が過ぎまして、皮肉にも国が観光立国を宣言したのと同じ2003年に、開業後わずか12年ほどで湘南ホテルが廃業してしまいました。海岸沿いで、ああいう良質なサービスを提供しようと頑張っていたホテルが取り壊されてしまう、これは私にとっては夢が一つなくなったなという瞬間でありました。

都心から十分日帰り可能な湘南海岸は、首都圏を対象としている限り、ホテル業はなかなか成り立たないのかもしれません。ですから、世界に誇れる文化・リゾート地区というコンセプトが登場するわけで、ここに第一級の観光施設を建設して、中身もそれにふさわしいイベントを誘致したりすれば、遠方からのお客さんの宿泊需要を創出することができるという考え方もあったのではないかと思うんですけれども、合理性があったのではないかと私は感じます。

これは江の島を考えた場合も同様でありまして、東京オリンピックのヨット競技の会場という、マリンスポーツの歴史に輝かしい名を刻んでいるんですけれども、近年、国際級の大きなヨット競技大会が開催されたとはちょっと聞かないんですね。ヨットハーバーの施設自体のキャパシティーが今の水準だともう小さいとか、あるいは漁業との兼ね合いなんかがあって、あの辺の海のそういういろんな問題があるのかもしれませんけれども、周辺にやっぱりホテルが少ないということも影響しているのではないかなと推察いたします。

このなぎさシティ計画はバブル期の計画であって、環境破壊の時代おくれの代物だという見方もできると思いますが、大変大きな負債を残したリゾートブームが去って、再び国がまた観光立国というものを掲げている。今だったらどうだろうかというふうにやっぱり考えてしまいます。

自然環境に対して、人為的な土木工事を施すことは極力避けるべきだというのももっともですし、しかし、その一方で私たち現代人は、より便利で豊かな生活を求めて、自然に手を加えて生きてきたのであります。これは否定できないことだと思います。

自然環境、自然の生態系はかけがえのないものであり、それらの保全、保護は何よりも大切だと言われれば、だれだってそのとおりだとなるところなんです。しかし、こうした価値観を全面に掲げるのであれば、自然のところから商業や土木工事を追い出すだけでなくて、人が立ち入ることそのものも排除するという選択すら生まれちゃうと私は思います。
実際、世界遺産に登録された途端に人が押し寄せ、貴重な自然が脅かされているという現象も起きているわけです。

結局のところ、自然環境や自然景観、住環境の維持保全、これと人が自然と親しむ、観光活性化、こういったことはトレードオフの関係にあると私は思います。こうしたことのバランスをとる努力は、してし過ぎるということはないと思いますが、開発はとにかく悪だという考え方は文明社会では非現実的と言わざるを得ません。

いずれにしましても、今さら西浜を埋め立てて何かをつくるということでもないと思いますけれども、当時指摘されていた江の島、湘南観光に足りないもの、特に文化的なもの、これに関しては私は今なお解決を見ていないと思います。
そこで2点質問いたします。

1点目です。江の島についてであります。
市長は
「湘南港のあるべき姿検討懇話会」
に参加なさっていましたが、湘南港の今後のあり方についてお聞きいたします。
湘南なぎさシティ計画の際は、江の島は片瀬湘南海岸公園と一体的なまちづくりが検討されておりました。
湘南港の今後の展開と国道や鉄道などとのアクセス、こういった陸側のまちづくりとの関連について御見解をお聞きいたします。

2点目です。湘南海岸公園一帯地域、中でも片瀬江の島地区の都市計画について御見解をお聞きいたします。
あと、かつてのなぎさシティでうたわれた文化施設、私は今でも必要だと考えておりますけれども、これについて市の御見解をお願いいたします。

以上で登壇での質問を終わります。ありがとうございました。
| 00:27 | 都市計画 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
なぎさシティ計画
過去、私がおこなった本会議質問をアップしたいと思う。
これから紹介する質問は、2006年6月定例会でのものだ。
「なぎさプラン」
という、湘南海岸一帯の開発計画があり、134号線の4車線化や防潮提を兼ねた広場とその下部の駐車場、新江の島水族館など、計画通り整備が進んできている。
だが、その目玉であった
「なぎさシティ」
は、バブル崩壊やリゾートブームの破綻といった時代背景から、頓挫してしまったのだ。

私は「なぎさシティ」はあった方がいい、という考えである。
一度否定された計画を実施するのはほぼ不可能だと思う。実際、質問作成の過程で、当局と様々議論したが、つれない返事に終始したのだ。
だが、そうであればあるほど、気合いが入るものだ。
過去の議事録を見たり、図書館や文書館で古い資料をあたり、持論の裏付けをしていった。
私としては
「渾身の質問」
だったのだ。
議会HPの議事録検索等でも読めるのだが、あらためて当ブログで紹介したいと思う。

〜質問ここから〜

件名「湘南海岸について」
要旨1「観光行政について」

2004年の通常国会において、小泉首相は施政方針で、2010年に日本を訪れる外国人旅行者を倍増、観光立国を推進すると述べています。この倍増とは、2010年に訪日外国人客1,000万人ということでありますが、2003年のデータでは過去最高の613万人となっており、先ごろの愛・地球博なども手伝い、目標達成に向かって年々増加しております。政府は、この取り組みをビジット・ジャパン・キャンペーンと名づけ、官民挙げて海外に発信しています。
観光産業は、世界のGDPの10%、雇用の8%を担う一大産業となっておりますが、貿易大国日本は観光収支で見ると赤字国であり、日本人の渡航先での支出は、アメリカ、ドイツ、イギリスなどに続き上位ですが、外国人が日本でお金を使う、つまり収入ランキングでいいますと主要国の中でも下位グループに位置しています。

こうした状況の中、国土交通省は2003年に美しい国づくり政策大綱を発表、従来の経済、効率優先の国土づくりを反省し、行政の方向を美しい国づくりに向けて大きくかじを切ったわけです。これから伸びが期待されるアジアからの観光客を呼び込むためにも、景観を美しく整えるということで、景観法制がつくられたのは皆様も御承知のとおりだと思います。現在のような成熟社会では、非工業的な産業は伸びていくとされておりますが、これまでともすれば経済の側からは軽視されがちだった景観、観光などの文化的な要素がここに来て俄然存在感を増しています。

さて、観光とは何か。
広辞苑によりますと、ほかの土地を視察すること、その風光などを見物することとあります。これですと味気ないんですけれども、文化経済学の佐々木晃彦先生という方がいらっしゃいますけれども、この方の定義ですと、観光とは他国の輝かしい風光、文物、制度を視察することで、これは裏返しますと、自国の輝かしい風光、文物、制度を示すこととなり、地域の文化をじっくり静思して観察することということがもともとの意味であったと解説しています。

しかしながら、高度経済成長に伴い、大衆観光時代に入ると、観光は親睦、懇親、気晴らし、歓楽などの意味合いが強くなり、ともすれば一般生活者の警戒心を生み、住環境や自然環境、風紀、交通混雑がつきまとい、
観光公害
という言葉も指摘されております。この観光公害は言い過ぎかもしれませんが、特に藤沢でも夏季の片瀬鵠沼地区においては、確かにそうした事象が当てはまる部分があるでしょう。

深夜、花火を打ち上げる若者、夜間の海岸で大音量の音楽を鳴らし、ライブイベントを楽しむという行為もあります。こうした無軌道な若者の祭りの後では、ごみが砂浜に残されます。また、ひところよりは少なくなったとはいえ、暴走族の騒音が閑静な住宅街を直撃しますし、道路渋滞は絶望的なほどであります。こうした事象にかんがみるに、なるほど観光公害かもしれません。
しかしながら、やはり観光は本市にとって大切な産業であり、さきに述べたとおり、将来有望な分野でもあります。江の島、湘南海岸から臨む富士山は本当にすばらしいと思います。また、歌舞伎などの江の島の歴史も誇るべき遺産であります。まさに江の島、湘南海岸の輝かしい風光、文物を多くの人に示すことができる本市は観光都市と言えると思います。

さて、話は変わりますが、今から21年前の1985年7月、県を中心に湘南なぎさプランが策定されました。このなぎさプランによりますと、昭和40年代以降、住宅地の拡大による緑の減少、国道134号線の慢性的な交通渋滞、海水浴場の水質汚濁などにより、明るい、豊かな湘南海岸のイメージを著しく傷つける事態が深刻化しているとして、湘南海岸の自然は子や孫に伝えるべきかけがえのない財産であるという基本認識に立ち、湘南海岸が直面しているさまざまな問題を解決し、21世紀の湘南海岸地域を展望する総合的な整備構想が必要だと説明されています。この藤沢市から大磯町にかけての東西約19キロを対象に、整備期間は21世紀初頭、基本理念として3つの理念が掲げられ、
1、豊かな緑と美しいなぎさを守り育成する
2、防災・交通などの問題を解決し、快適に過ごせる居住環境を生み出す
そして今回、私の質問のテーマでもありますが、3番目に、

あすへの活力を養う文化的空間の創出

などが掲げられていました。
その期日となった21世紀の今日、国道134号線の4車線化を初め、防潮堤の機能を持った湘南海岸公園のマウンド整備とその下部に駐車場も設置されておりますし、新江ノ島水族館の開館など、都市施設、観光施設は大幅な改善を見ており、なぎさプラン策定時に指摘された課題は解消されている部分も少なくないでしょう。中でもリニューアルされた水族館は、文化施設としても位置づけられますし、新しい湘南観光のシンボルとして、湘南海岸のイメージアップに貢献していると思います。しかしながら、それでも私は文化的空間の創出はまだ不十分だと感じます。

ここでまた別の話題をしたいと思います。このなぎさプラン策定から5年後の1990年、4月から10月にかけて行われたサーフ’90という総合イベントを記憶されている方も多いことと思います。このころは、神戸のポートアイランドでの博覧会を皮切りに、みなとみらい21地区での横浜博を初め、各地で地方博覧会が開催されていました。サーフ’90も、この地方博覧会と見て差し支えないと思います。このサーフ’90のサーフはアルファベットでSURFと書きます。これは相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990の略でありますが、県が主体となって官民から多くの参加者を集い、このイベントのための財団を組織して相模湾岸13市町を舞台に開催されました。開催目的は、なぎさプラン策定時に指摘されていた諸問題の解決策を探る、あるいは新しいムーブメントのきっかけをつくるために、イベントという方式を使って、相模湾で何をなすべきか、何ができるのかを追求するということでした。

環境、生活、産業、レクリエーション利用といったさまざまな分野で、相模湾で起きている問題の解決策を探るための社会実験が必要で、その方法としてはイベント形式が適していると説明されています。これは今から思えば大変大がかりなものでした。開催費用は93億円余りで、この収入は企業からの協賛金と県の負担金が主なものでありました。支出は、イベント開催費が40億円余りと最も多くなっており、これに次いで会場整備費の27億円と続いております。
サーフ’90は、藤沢の湘南海岸公園がメーン会場となって、ここに自然にマッチする建物ということで、協会の本部や会場警備関係の建物はログハウスで統一されていました。また、渚のステージという特設ステージが設けられていましたけれども、これはいす席で1,000席、立ち見席は2,000席という大規模なものでありました。こうした施設が大分つくられたことによりまして、藤沢会場では377万人、相模湾全体では463万人もの人がイベント会場に訪れ、ここで大小合わせて550件ものイベントが開催されておりました。

私は、当時のことはそんなには覚えていないんですけれども、何か海岸の方はかなり盛り上がっていたなという印象は残っております。改めて資料などを見まして振り返ってみますと、かなりの盛況ぶりがうかがえますし、イベントの多さもさることながら、その中身が充実しているということも重要な点だと思います。
相模湾の抱える問題、課題を考えるために、国内外の専門家を集めた国際シンポジウムを開催、アメリカやフランスなどの先進事例の紹介や、そして今後の相模湾のあるべき姿について、数多くの示唆を得ています。また、世界的に有名なカンヌ映画祭を招き、湘南カンヌ映画祭というイベントも開催していますし、オーストラリアのゴールドコーストからもイベントの出演者を招いています。まさに国際的、博覧会の様相でありました。こうした内容を見るにつけ、私は湘南の人々の文化度の高さを改めて感じるところであります。
このサーフ’90の閉幕後にまとめられた提言のうち、海岸美化財団の設立、ビーチバレーの隆盛、レディオ湘南の開局、ライフセービングの普及、漁業とレジャー、観光を融合した取り組みなど、相模湾をより活性化するための事業が各地で実現を見ています。
また、開催期間中に市民、県民のみならず、首都圏全域から多くの人が訪れ、地元の参加者との交流も生まれ、さまざまな意見、提言を得ることができました。こうして数多くの人の相模湾に対する期待、思いも集約することができたわけです。サーフ’90は開催目的を十分果たし、成果を上げたと私は感じております。

対して現在の湘南観光でありますけれども、湘南江の島フェスティバル、マイアミビーチショーなどのイベントを開催し、年間を通して楽しめるように工夫されていると思います。しかし、豊かな、明るいといった湘南のイメージにふさわしい若い人が楽しめるような音楽的なイベントが私は決定的に不足していると感じます。サーフ’90のように、2,000人も収容できるようなステージをつくるということが果たして今可能かどうか、課題は少なくないでしょう。あるいはそもそもあれは博覧会だったのでありますので、そうそういつも大きなイベントはできないということかもしれません。

しかしながら、サーフ’90という社会実験の成果に照らしても明らかなように、湘南と文化の親和性は極めて高く、コンサートのようなイベントの潜在的な期待はあると感じます。実際、私もそういった音楽関係の方から、湘南海岸や江の島でコンサートを開催してはどうかというアイデアを持ちかけられたこともあるくらいですから、ニーズはやはりあると思います。湘南の若々しい、明るいイメージに合うようなイベントを開催することは、単に集客のみならず、地域のイメージアップ効果は大きいと考えます。今後の江の島、湘南観光の新しい展開として、コンサートを開催することの意義は大きいのではないでしょうか。

そこで2点質問いたします。
 
1点目、現在の観光行政について、現状認識及び課題解決に向けた取り組みについてお聞きします。

2点目、湘南海岸公園や駐車場、港湾など、県の公共施設を活用し、例えば特設ステージなどを設置して音楽イベントを開催することは、観光客の誘客、そして湘南藤沢のイメージアップにとっても効果的だと考えますが、市の御見解をお聞きいたします。

要旨1は以上です(続く)。
| 13:44 | 都市計画 | comments(3) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
政策その4.市町合併
前回の統一地方選挙は「湘南市構想」に対する是非が大きな争点だった。
そして、合併の是非を問う主戦場となった平塚市長選挙で、合併を強力に推進していた当時の吉野市長が合併反対の大蔵氏に敗れ、旗頭を失って「3市3町」による湘南市構想は露と消えたのはご存じの通りだ。
それでは、藤沢周辺で「市町合併」は無くなったのだろうか、というとそうでもなく
議会筋や役所周辺で、合併の必要性を唱える声は消えていない。

例えば
「茅ヶ崎市と寒川町との2市1町で合併するのがよい」
といった説は未だに有力である。
また
「綾瀬市や海老名市と合併」
することで100万人都市となり、政令指定都市となることをめざすべきだ、という意見まである。
さらには、県の方では
鎌倉市との合併
を模索する動きもある。

いずれにせよ、合併は「結婚」とも似ている。いくらこちらがラブコールを送ったところで、相手がどう思うかが重要だ。
その意味で、藤沢市から一方的に意見を言うことにさほど意味はないと言えるが、やはり市政に関わるものとしては、合併に関して自分なりの意見を持つのは当然だとも思う。

で、私はどうか、といえば現状では
「藤沢単独」
派である。
その理由を一言で言えば
「合併する根拠が無い」
ということになる。

役所や議会といった、市政に関わる、いわば「専門家」からすら説得力ある説明を聞いたことはない、と感じているのである。
曰く
「2市1町で既に行政各分野で『広域連携』をしている」
「2市1町だと、市の『形』が良い」
「市が大きくなると予算が増え、市独自の判断で大きな事業が出来る」

等々である。
これらは一理あると思うが、私としては疑問に感じるところも多い。

確かに市としての形は良い、と思う。
横長・縦長になる市よりも、正方形の市の方が、拠点から市境までの距離が短くなるので、行政効率は良いだろう。
市の道路とか、下水道などの敷設という面でアドバンテージはある。
だが、市役所や駅がある拠点地域から遠いと感じる地域が現市域内でもあると思うが、合併したからといってこれらが解決される訳ではなく、結局
2市1町それぞれで、拠点から遠くなる地域が増えるだけ
でもあるのだ。

また、市が大きくなれば予算が増えるのはその通り。
だが、予算増とは、当たり前だが収入増であると同時に行政需用が増えるので
「支出増」なのだ。
分かりやすく言うと、言葉は悪いが
「面倒くさいこと」も増える
ということだ。

例えばごみ処理施設の場合で言えば、高効率な大型のプラント建設などでは、合併市は小さい市よりも優位性はあるだろうが、いざ市内の何処に建てるか、となると
「迷惑施設の旧市域同士の押し付け合い」
が発生し、大揉めに揉めることは容易に想像が付く。

先に述べた
「大きな事業ができる」
というのは、前向きな、というか多くの人が欲しがる施設建設などが代表的な例だろう。美術館とか、スタジアム、とか。
これは、ごみプラントなどとは逆に、旧市域どうしで
「引っ張りだこ」
となり、これまた簡単には決まらないだろう。合理的な理由ではなく、まさに旧市町の綱引きの結果、税の効率利用からどんどんずれていき、最後は
「政治決着」
となるだろう。

以前から述べているが、藤沢市も「合併市」である。
で、市内13地区同士での綱引きも現実にあり、
「鵠沼にあるのに片瀬地区にはない」
的な話を聞くことも少なくない。
気持ちはよく分かるし、同じ市内でそうした不公平があってはならないと思う。
だが、全ての施設が全13地区に揃っている必要も無い
し、狭いと言えば狭い藤沢市内である。
私は片瀬地区在住だが、ウチの人間は各種手続きなどの際は、片瀬市民センターに行くよりも本庁に行く。
家から地区センター・本庁それぞれの実際の距離も大して違わないだろうし、心理的には本庁の方が近く感じている。

それに、娘は来年から小学生になるが、通うのは「新林小学校」であり、これは地区別でいえば「村岡地区」にある。
地区境に住む身としては、地区内ですら施設の偏りがあり、これが地区住民意識が希薄になる要素だと感じる。
もっと言えば、私の事務所は石上で、市民会館の目の前だ。ここは鵠沼地区なのだが、地区拠点の鵠沼市民センターよりも市役所本庁の方が当然ながら遥かに近い。
南藤沢などもそうだが、藤沢駅南口の「鵠沼地区住民」にとっては、鵠沼海岸にある地区センターは、地域コミュニティの場所にはならないのが実際なのである。

そもそも「片瀬税」「鵠沼税」などは無く、すべてが「藤沢市税」なのである。

あまり「地区」に固執するのは、税の有効利用という点から、さらには
「財政民主主義」という意味からも間違っていると思う。

現在市が行っている
「13地区別のまちづくり」
「地域分権」というと聞こえはいいが、
全藤沢市的な一体感を阻害している気がしてならない。

合併した場合、こうした地区同士の綱引きのようなゴタゴタが、より分かりやすく、より大きな形で合併新市内部で繰り返されるのは目に見えている。そして、まちづくりのスピードも遅くなるだろう。政治決着が続き、市行政の効率が悪化、結果として税の無駄遣いが増える気がしてならないのだ。

ということで、まずは藤沢市内での各地区の綱引きを止め、
13地区各々が「全市的視点」に立って考える
ようになってからでないと、合併の議論をしても全然説得力が無いと思うのだ。
| 14:06 | 都市計画 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 柳田ひでのり |
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