政権末期
福田総理が辞任し、後継選びの動きが活発化している。
しかしこれほど民意とかけ離れた政治もないだろう。
一方、これからの藤沢市政は、先の市長選挙で掲げられたマニフェストを中心に動くことになる。
私はこのブログでマニフェストの問題点を述べてきた(個別事業の評価はこれから)が、海老根市長がマニフェストを打ち出し、それを実行しようと奮闘していること自体は評価している。
それは、「民主主義上の手続きが正当」だから、という思いからである。
対して国政、自公政権の現状はどうだろうか?
政策の良し悪し以前の問題として、議会政治・民主政治の精神から逸脱している。
政策の良し悪しの判断は、私は実は大変難しい、もっといえば不可能に近いのでは、とさえ思う。国内外を問わず、社会は多様化・複雑化しており、政策の「効果」が多くの人にとってわかりやすい形で表に現われることは殆どないのではないか。もっとも、マイナス面はわかりやすいかもしれず、それを我々野党は責めているわけだが。
で、効果があったとしても、それがわかるのは数年後だったり数十年後…。
これでは、小手先の政策しか打てないのは無理もない、とも思う。
民主主義体制では、社会をリードするのは政治ではない、のかもしれない。
民主主義は「多数決」だ。
政治とは妥協することでもある。通らなかった少数意見はもとより、通った多数側の意見も妥協の産物、ということも多いだろう。
最終決着には、何かしら、みんなにモヤモヤしたものが残る。
だからこそ「手続き」による「正当性」が問われるのだ。
現政権は血統正しい「正統」政権とはいえるかな。
しかしこれほど民意とかけ離れた政治もないだろう。
一方、これからの藤沢市政は、先の市長選挙で掲げられたマニフェストを中心に動くことになる。
私はこのブログでマニフェストの問題点を述べてきた(個別事業の評価はこれから)が、海老根市長がマニフェストを打ち出し、それを実行しようと奮闘していること自体は評価している。
それは、「民主主義上の手続きが正当」だから、という思いからである。
対して国政、自公政権の現状はどうだろうか?
政策の良し悪し以前の問題として、議会政治・民主政治の精神から逸脱している。
政策の良し悪しの判断は、私は実は大変難しい、もっといえば不可能に近いのでは、とさえ思う。国内外を問わず、社会は多様化・複雑化しており、政策の「効果」が多くの人にとってわかりやすい形で表に現われることは殆どないのではないか。もっとも、マイナス面はわかりやすいかもしれず、それを我々野党は責めているわけだが。
で、効果があったとしても、それがわかるのは数年後だったり数十年後…。
これでは、小手先の政策しか打てないのは無理もない、とも思う。
民主主義体制では、社会をリードするのは政治ではない、のかもしれない。
民主主義は「多数決」だ。
政治とは妥協することでもある。通らなかった少数意見はもとより、通った多数側の意見も妥協の産物、ということも多いだろう。
最終決着には、何かしら、みんなにモヤモヤしたものが残る。
だからこそ「手続き」による「正当性」が問われるのだ。
現政権は血統正しい「正統」政権とはいえるかな。