6月定例会での質問・答弁から、藤沢市の合併議論を紹介してきた。
一連やりとりの中で、いくつかの論点が明らかになった思っている。
最後に、合併についての現時点での私の考えを示しておこう。
市長の考えを大きく括ると、市の合併については、
1.藤沢一市のみならず、国の大きな流れがある中で
2.基礎的自治体として自立するために、今以上の規模が必要になると思われるので、(中核市程度の)藤沢単独よりも合併して政令市規模の枠組みがよい
3.その際には「湘南」が近隣自治体の求心力となる。藤沢「市」に拘る場合ではない
といった感じだろうか。
まず順を追って、合併の背景からみてみよう。
国・県・市という重層的な行政構造の中で、大いなる無駄が生じている。
高度成長期には上手くいっていた政策が、成熟化・低成長となり、機能しなくなった。国庫は破綻寸前の一方、少子高齢対策など、これまで先送りしてきた課題が噴出してきた。もはや
「国土の均一な発展」
的なくにづくり・まちづくりは出来なくなるし、また不要である。
これからは国・中央はもとより、それぞれの地域・自治体が今まで以上に効果的・効率的行政運営がもとめられるので、
国・県・市のそれぞれの役割を抜本的に見直す必要が出てきている。
国は外交・安保、金融など中央レベルの施策に特化し、内政の主役は自治体が担うことにより、住民の意見・チェックが反映されて、効率的・民主的な行政となるのだ…
といった所だろうか。
これ自体、大きく見れば私も異論はない。ただ、答弁の中で、再三出てきて、市長が合併の前提とする
「道州制」であるが、道州制自体の是非やその理念・目的についての意見はここでは割愛するが、私は実現へのハードルは相当高いと感じている。
道州制は、ある意味で「都道府県合併」だが、1890年以来、県の組み替えは行われていないのだ。そう簡単に話がまとまるとは思えない。
県を廃止して道州制に移行するのは、市町村合併どころではない困難が容易に想像される。
国や県で少々の動きがあるとはいえ、現実味は乏しく、当分先の話だと思うし、
2.に関連して、仮に
基礎的自治体の規模の見直しが行われるとしても、中核市程度が想定されるはずで、政令市規模ではないと思う。
いつになるか分からない道州制をにらみ合併を模索する前に、まず藤沢単独でどこまで出来るかを考えればよいと私は思う。
「中核市は財政負担が云々」じゃなくて、すぐにでも中核市に移行して県財政の負担を軽減させることを考えてもよい。
財政に関しては、
市の財政負担が増える→県の財政負担は減る→ということは(県税納付者の)
藤沢市民にとっては県サービス低下。
という図式は成り立つが、それが問題だというならば、市が県から福祉部門の一部を引き受ける変わりに、企業誘致や基盤整備などで、相応の対価を県に求めていけばよいと思う。
実際、保健所のような金がかかる役所を、既に県から市へ引き受けているのだから。
藤沢市は自立している、今後も自立出来ると答弁にもあった。
「湘南の海にひらかれた生涯都市ふじさわ」この都市像を本市単独で実現できるのだ。
また、市長の持論の「自己完結型都市」に藤沢は近いだろうし、合併してよりそうなるかは不明だった。
例えば、
合併すれば市立高校・市立大学が持てる、っていう具体論があればまた話は違うが。
この、
「自立した都市像」については、市長の答弁は「総花的」だと感じる反面、当然でもある。
また、自己完結型都市、これについては私も市長に全面的に賛同する。地方自治に携わるものとしては、都市の理想形だろう。
市財政を一つの産業に頼ると、そこが斜陽となった際のダメージが計り知れないことは、夕張のみならず各地で見られる。
また、産業の活性化は、人や物が流れ込み、ともすれば静かに暮らしたい住宅地との軋轢を生む。
街が活性化したらしたで、新たな火種をおこすのだ。
さりとて、住宅都市に特化すると、住民が高齢化した際に一気に都市としての活力を失いかねず、
産業・住宅両にらみは都市経営の本道だろう。
しかし、この
「両にらみ」が産業・住宅どっちつかずになり
市のイメージの希薄化に繋がっていると感じる。
そして、逆説的に、特定のイメージがない・特定の何かをよりどころにしていないがゆえに「本市は自立している」ともいえるわけだが。
これは、なかなか難問だ。
ともあれ、藤沢は住み・学び・働き、そして憩う、基本的に揃っている、非常にバランスが良いまちだと思う。「自己完結型」、になっているのでは。
一つの都市像の例として、
文教都市・文化都市、っていうのがある。
こうした都市像を確立するのに合併が有利になるかといえば、因果関係ははっきりしない。文教都市という点では現状で本市単独で十分「自立」していると感じる。
また、海にしても、江の島を中心にした海のイメージを市のイメージに重ねようとしているわけだから、尚のこと本市単独の方が明確になるのではないか。
さらに、本市の合併の相手先というか、方向も分からない。
鎌倉方面との合併、茅ヶ崎方面との合併、その両方、あるいは旧高座郡での合併と、それぞれ都市像が変わってくる。
単独でもやっていけるだろう藤沢市が合併を模索するのなら、合併新市に対し、明確なイメージを持ち、戦略的に取り組むくらいでないと、それこそ意味がないと感じる。
もっとも、現段階では言えない、ということかも知れないが、湘南市構想の際は
「世界のSHONANへ飛躍する」と、構想自体が戦略的・野心的だったと思うが、今回の答弁をきいているとかなり後退している印象は否めない。
とはいえ、市長はやはり「湘南市」への思いがあるのだろう。
確かに、ふじさわっていうとこんな街、って誰でもわかるようなイメージがない現状では、湘南市に変えてイメージアップ・ブランドアップという考えも否定しないどころか、私にもそうした思いはある。
実際、
屈指のブランド力を誇る鎌倉市は、鎌倉という名前を残すためだろう、合併には消極的だ。
藤沢が合併に積極的なのは、「ふじさわ」ブランドが魅力的でないから(名前を変えたい)と認めているようなものではないか。
だが、
1940年市政施行の藤沢市は、比較的新しい市である。市としての伝統づくりには時間がかかる。
市長は、藤沢の地名・イメージを確立するための施策は、総合計画の中で既に取り組んでいる、というご答弁だった。当然のお答えで、私もそれ自体全く異論はない。
私が云いたいのは、知名度を上げること・ブランドを浸透させるには歴史、というか伝統が必要で、それには時間がかかる、ということだ。
答弁にもあった、民間によるブランド調査結果の上位都市は、市政施行以来のトップランナーで
、「市」として100年以上の伝統を有しているところか、あるいはそれ以前からの歴史・伝統を持っているところではないだろうか。
藤沢市は合併を繰り返してできた新しい市であり、まだまだ発展途上なのではないだろうか。
だから、時間を掛けて、「藤沢」の街を、名前を、伝統を育てていけば、これから藤沢の名前が全国に知れ渡るのだと思う。
「藤沢市は合併を繰り返してできた新しい市なので、未だに13地区全体、藤沢全市での一体感がつくれていない」
本会議でも述べたが、私の師匠の分析である。豊富な経験からの、まさに実感だろう。
私が合併に疑問を持つ最大の理由はこれだ。
これから藤沢市がどこかと合併して、また新たな市になって、一体感をつくるのはそう簡単ではないと思う。
今の藤沢市全体で一体感を醸し出すことに全力を尽くす
ことが先決で、合併はそのずっと先ではないか、というのが、私の結論だ。
「藤沢全市での一体感」醸成策と「ふじさわブランド確立」策についての私案:
1.藤沢市は中核市に移行
2.13地区別まちづくりの見直し
(ある意味で全市的な一体感には逆作用していないだろうか)
3.「ふじさわ」の連呼、まずは行政が率先して取り組みを発信する
(民間への波及効果を期待)
4.「ふじさわ」の名前が取り上げられるようなイベントを誘致、企画する
そして、将来的には
5.市立高校・市立中等教育校
を検討する。市立大学もあれば尚良いが、贅沢は言うまい。さらに、
6.大学と連携した美術館・博物館
をつくる、あるいは誘致して
「文教都市ふじさわ」
というイメージを確立する。
文教都市の仕上げは
7.大学病院の誘致、スポーツ系・芸術系学部の誘致
この6.と7.により、市内大学で一通り学術的な事が網羅されるはず。
これにより、(少なくとも文教都市としては)
市長のいう「自己完結型都市」に近づくと考えるし
、「孟母三遷」で選ばれる都市にもなるのではないだろうか?