2008.04.22 Tuesday
13:51 [
憲法(民主主義)]
海老根市長は市長選挙の際、107項目にも及ぶマニフェストを作成し、市民に問うた。
私が見たところでは、従来の総合計画と重なるものが多いが、新規のものもあるし、整合性にかけるなと感じるものもある。
そのあたりは、今後議会で議論していくとして、今回は大雑把な話をしたいと思う。
喩え話で恐縮だが、みなさんが使っている携帯電話を考えていただきたい。携帯電話は大変便利なもので、私はヘビーユーザーの部類だと思う。
で、携帯電話が登場した当時は今から思えば滑稽なほど大きく、携帯性に欠けるものだったが、年々小型化が進み、おおむね現在の大きさで落ち着いている。これ以上小さくすると、人の手や口・耳の位置など、使い勝手が劣ることになるのだろう。
また、以前は電池の寿命も短かったし、通話圏も狭かった。さらには、通話料も高額だったが、これらも相当改善されてきている。
携帯電話の進化は
1.小型化
2.省電力化(電池の持続時間)
3.通話圏拡大
4.通話料金引き下げ
などを一つの流れとして捕らえることができるだろう。
もう一つの流れは、メールやカメラ機能、ウェブ閲覧、TV、音楽鑑賞などなど、「通話以外」の使い道の拡大である。
私は携帯電話の使い方としては、通話も多いが、同時にメールも多い。あとは、スケジュールなどの電子手帳的な使い方を少々、といった感じだ。
カメラ、携帯サイト閲覧はあまり使わないし、TVや音楽機能は全く使わない。
私はそうした人間なので、携帯電話に求めるものはとにかく通話料の引き下げとメールの使い勝手、そして電池の持続性向上である。他の機能は私には殆ど不要だ。
もちろん、それは人によるだろう。
私自身、最初はメールもいらなかった。電話機能で十分だったが、いつしかメールを使い、今は相手によっては殆どメールだけのやり取りに終始しているくらいだから、他の機能も食わず嫌いなのかもしれない。
機械というものは、人間の想像力を超えることがある。
機械自体が、人間が気がつかなかった新しい使い方を示し、人間の可能性を広げてきた。
便利になるだけでなく、新たな文化・芸術を生み出し、それこそ機械が新しい悲劇をも生んできたのだが、機械の発展こそ人類の歴史だ、といっては言い過ぎだろうか。
大げさな話になってしまった。
前置きが大変長くなったが、何が言いたいかというと、上記の携帯電話の小型化や電池の持続性向上などの従来の発想の延長線上の進化が、
「総合計画」に当てはまると感じる。
で、カメラ付き携帯や携帯サイト、GPS機能など、新しい機能・使い道が新市長の
「マニフェスト」
に当てはまるのではないだろうか。
市長マニフェストに対し、
「市民はあんなことは求めていない」
という批判的な意見を聞くことがある。ごもっとも、と感じる部分もあるのだが、一方で前述の通り、市民が気がつかない・さほど必然性を感じないが、いざやってみるとすごく満足度が高かった、さらには将来の藤沢市のとってよかった、という政策もあるだろう。
もちろん、携帯電話でいうところの「小型化・省電力化」等々は、引き続き追求していくわけだが、一方でカメラ付きやウェブサイト閲覧機能、TVなど、携帯端末としての新たな可能性追求に相当するような、新しい・夢のある藤沢をめざす政策も大切だと思う。
実際の海老根市長のマニフェストが「カメラ付き携帯」的なものだと述べているわけではない。あくまでも、そうした視点から捉えることが出来るのではないか、という意味で例示させてもらった。
ちなみに、私は携帯端末としての新たな機能・可能性を追及するのも悪くないが、耐久性やデザインなど、あくまで携帯電話本来の使い勝手・所有感を向上してもらいたい、という人間かな。
2008.04.21 Monday
22:32 [
憲法(民主主義)]
総合計画と市長マニフェスト、どちらが優先されるのか?
藤沢市行政は「総合計画2020」に基づいて執行されている。
総合計画とは、20年程度の中長期的な市政運営の基本方針を謳ったもので、法で各市町村に総合計画を策定することが定められている。
(いきあたりばったりでなく)「計画的に」行政運営にあたりなさい、ということだ。
この総合計画自体は抽象的といってよく、その下位に位置づけれられる、各分野毎の行動計画が具体的な計画である。
「都市マスタープラン」、「高齢者保健福祉計画」、「地域IT基本計画」などなど、各セクションで計画を策定しているのである。
これは市民に対して「今後藤沢市はこうこうしていきますよ」というアピールであると同時に国・県に向けての行動計画でもある。
このことにより、国や県の立場では、各市町村が求めている政策を考える参考にもなる、ということは市町村への補助金算定の参考にもなるわけだ。
これは、市の立場でいえば、国庫補助獲得に向けてのアピールになるともいえる。
このように、総合計画は極めて重要なものなのだ。
この総合計画は、策定のプロセスとしては学識経験者や市民委員、議会選出委員など、幅広い層から意見を求めながら行われ、最終的には議会での議決を経ることになる。民主的な手続きで出来上がったものだ。そして、繰り返すが法的なものだ。
対して、市長のマニフェストも市長選で候補者が有権者に対して訴え、それをもとに有権者は誰に投票すればよいのか参考にするものであり、これも当然ながら民主的なプロセスを経ている。
総合計画、マニフェストともに民主主義の中で正当性があるが、総合計画策定にかかわったと実感している市民は極めて少ないだろう。
一方のマニフェストは投票率は伸びなかったものの、多くの市民参加を得ていると考えることもできる。
マニフェストこそ、民主主義の最たるものともいえると思う。
で、総合計画とマニフェストの間で矛盾がなければ何の問題もないのだが、矛盾とまではいわなくとも、総合計画で全く触れられていない新たな事業がマニフェストに謳われていると少々厄介なのだ。
私は議員になってこのかた、総合計画の壁に跳ね返されてきたという実感がある。
何らかの施策、例えば「運動場の芝生化」をしたい、としよう。
これを私が提案したとしたら、当局の回答は
「総合計画に入ってません」
となる(あくまでも喩えとして考えて頂きたい)。
法的存在である総合計画に入っていないものは、後回しとなってしまうのである。総合計画に謳われている政策を実現する事すら財政状況等から難しいのに、それ以外の事業の余裕など無い、ということだ。
実際にはそこまで言いきってしまうのは極端で、総合計画に無いことでも緊急性が高かったり国の施策変更があった場合、つまりは国が金を出すということがあれば事業化はされるのだが、まあ、そんなニュアンスだと受取っていただければ、と思う。
いずれにせよ、
総合計画は市行政の「バイブル」となっている
のは確かだ。
そして、新たに市長マニフェストというバイブルが加わったわけだ。
確かに、2020年まで現在の総合計画通りに行政執行するのであれば、市長が変わる意味はない。海老根市長自らの政治的思想・時代感覚を打ち出すのは当然だと思うが、総合計画2020の実現すら難しくなっている財政状況のいま、この上
市長マニフェストが入り込む余地は残されているのだろうか?
ということなのだ(続く)。
2008.04.18 Friday
14:31 [
議会(その他)]
私の支援者から、
「みんなに愛される政治家になって」
と激励された。
私もそうありたいと願ってはいるが、私自身の人間的魅力はさておいたとしても、実際には難しいだろうと思う。
このところ、後期高齢者医療制度について議論が高まっている。
この制度、かなり問題が多い。この件については、改めてエントリしたいと思うが、一言でいえば「高齢者いじめ」だ。
さらに、健康リスクが高い人だけ集めた健康保険ということ自体、保険という概念と矛盾すると感じる。
私はテレビはほとんど見ないので人づてに聞くだけなのだが、テレビ報道の論調は、この制度はいかん!といった感じらしい。制度廃止を求める国民や民主党にとっては追い風のようなのだ。
だが一方で、私はこの流れに対して違和感、というかきな臭いものを感じる。
医療保険等の「保険料」は、当然ながら保険運営、保健・医療政策に使われる。税は財務省が集めて各省庁に配分されるが、「料」は直に保険財政へ向かう。
保険料は特定財源なのだ。
特定財源、といえば、道路が思い起こされるが、これもわが民主党は反対し、当然私も反対だしマスコミも好意的だろう。結果、世論の支持を得ていると感じる。
しかし、特定財源廃止の旗を振るのは民主党だけだろうか?
財政当局としては、ガソリン税や保険料など、いわば特定財源が減って一般財源が相対的に増えるのは、結果として彼らの権限が拡大されることになるので賛成するはずなのだ。
さらに言えば、来る消費税増税への布石として、特定財源維持・値上げをけん制するのではないか。
消費者・生活者からみれば、料であれ税であれ、一般財源であれ特定財源であれ負担という意味では一緒。消費税増税を控えているから、財政当局としては、いまは納税者を刺激したくないのではないか。
あるいは、納税者の立場からすると、ガソリン税や保険料が安くなっても、消費税がそれ以上にあがれば結局負担増になるし…。
いずれにせよ、財政が破綻寸前なのは確かなのだ。
マスコミが特定財源を批判しだしたら要注意だと思っている。
政治家としては「(保険)料を下げる」「税を下げる」といえば、「愛される政治家」になるかもしれない。だが、前述のようにそれは裏があったりもするだろう。
さらに、政治家は、自分は有権者の味方だけど役所が抵抗してねえ、とかなんとかいって役所を悪者にする傾向がある。
本来、政治家は「あれするな、これするな」「ああしろ、こうしろ」、「税を払え」ということを決めていく仕事だ。愛される、なんてことからそもそもかけ離れている気がしてならないが、政治家には選挙がある。人気商売なのだ。
一方、役人には選挙がない。選挙がないからこそ、嫌われる政策でも、中・長期的な視点で全体を見て、必要だと思えば役所は提案してくるのだ。
これは、良し悪しの問題ではなく、そうした役割分担、ともいえるだろう
保険料や道路財源などを考えながら、そんなことが頭に浮かんできて、自分が「ごみ処理有料化」に賛成した時のことなんかが思い出される。
「愛される政治家」、なかなか難しい…。
2008.04.14 Monday
12:47 [
国会]
昨日、民主党神奈川県連の定期大会が横浜市内のホテルで開催され、新年度の予算や事業方針などが決まった。
あわせて県連代表選挙が行われ、現副代表の笠浩史(りゅう・ひろふみ)衆院議員が現代表の浅尾慶一郎参院議員に139対138票という一票差!で勝利、新しい代表となった。
県連の代表を党員の投票で選ぶ、というのは民主県連では初の試みだ。
私は、投票権を持つ代議員として選挙に参加、一票を投じてきた。
私はこれまでの実績から、浅尾氏に投票することに決めていた。
私としては、浅尾代表が再任されなかったことは残念だが、笠新代表も県連代表にふさわしい立派な政治家である。県連に新風を吹き込んでいただけると期待している。
こうした内輪の選挙の場合、投票を行わずに話し合いで決める場合が多い。
「後の組織運営にシコリが残る」
ということだ。確かに、そうした要素はあるだろうが、やはり民主的な組織運営をするには、代表も民主的手続きで選ばれるのが筋だと思うし、代表のなり手がいない組織というのもいかにも活力がなさそうだ。
投票選挙、大いに結構だと思う。
新たに代表に選ばれた笠氏は
「これから一致団結していこう。敵は外だ」
みたいな就任あいさつをしていたが、全く同感である。
やはり、投票選挙は一人ひとりが参加した、という実感があり、民主的でよい。そして、何より組織が活性化するなと再認識させられた。
2008.04.02 Wednesday
12:38 [
議会(その他)]
2月定例会が終わった。
今回は市長選挙の関係で新年度が始まるぎりぎりまで議会を行うという、かなり厳しい日程だった。
海老根新市長のスタートはどうだっただろうか?
新年度予算案自体は、山本前市長が組んだものを踏襲することになり、さしたる争点・論点はなかったといってよいだろう。
代表質問に対する答弁も、弁舌さわやかで安定感があった。
では、順風満帆の船出だったか、というとそうも言えないだろう。
先に予算案に争点はなかった、といったが、それは当初予算に関してである。
定例会最終日、当初予算が可決されたのち、直ちに
「補正予算」
が提出されたのだ。
少し説明すると、07年度最後の2月定例会に提出された
「08年度(当初)予算案」が山本市長が組んだもの
で、
海老根色が出てくるのは「補正予算」
から、なのだ。
で、08年度予算が議会で可決・成立したのち、08年度補正予算の第一号(つまり海老根予算)が提出されたわけだ。
皆さんも新聞等でご存じの
「副市長三人制」
である。
これまで、助役・副市長は二人体制で市長を支えてきたのだが、海老根市長は「緊急課題に対応するために三人体制としたい」と主張。
これに反対の声が上がり、8人が否決にまわった。
通常こうした議会同意の人事案件は、条例案や予算案など政策・施策を問うのと異なり、人物そのものに対して可否を問うことになるので藤沢市議会の場合は
「(その人に対して)礼を失する」
として?議案となって本会議に上がってきた(つまり市側がお墨付きを与えた)以上は質疑を控える、という不文律がある。
ということで、国会では人事の同意で与野党が激突したが、ああした構図は市ではなかなか見られないのである。
実際、三人制に反対した勢力も人物の賛否に関しては「退席」、ギリギリで不文律を守った、という格好だろうか。
私は、三人制・人事ともに賛成をした。
反対する理由も一理あるだろう、と思う。
だが、これは市の執行体制の問題なのだ。
市民から直接選ばれた市長が
「副市長が三人いなければ市民に対して責任を持って行政執行を行うことができない」
といっているのだ。
極端にいえば、議会はあくまで行政のチェック機関にすぎない。実際行政を執行し、最終的な責任をとるのは市長なのだ。
その市長がそこまで言うのなら、という立場から私は今回は賛成したわけだ。
賛成した以上、今更あれこれ言うのも憚られるところだ。
だが、恥を承知で?あえて言えば、8人否決・退席したということの意味は小さくはないと感じる。
この案件は、時間が限られていたとはいえ、手続きが不足していた感は否めない。実際、反対議員の中にはそうした声が大きかったと思う。
たとえば、
・マニフェストに副市長三人制は書いていない
・施政方針でも触れていない
・当初予算案に間に合わなかったのか
等々、副市長三人そのものの是非よりも「議論の場」が欠落している、という批判である。
民主主義では議論の中身よりも何よりも、
手続きが最も重要だ
ということだけは、言っておきたい。
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